米国見聞録

旅行・留学・仕事を通じたアメリカ滞在の記録です。番外編で韓国見聞録があります。

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5、ネバダ州ラスベガス(1998)

ラスベガスを移住先に

 1998年1月5日。白人、黒人、ヒスパニック系、アジア系と多人種がごった返し、強烈なエネルギーを放つロサンゼルス国際空港から南東に向けてアメリカンン・ウェスト・エアーラインで約一時間。

 見渡す限り、太陽に焼き尽くされた砂漠に飽きてきたころ、ラスベガスは突如開けてくる。整然と区画された街並み。スプリンクラーで管理されたゴルフ場のあざやかなグリーン。きれいな住宅街のオレンジ色の瓦屋根。カラフルな大規模ホテル・カジノの数々。

 無味乾燥した砂漠とは、対照的な人工都市を眼下にし、人々は驚きの声を上げる。ラスベガスのマッキャラン国際空港に到着すると今度は派手なスロット・マシーンが、さっそくカモの相手をせんと待ち構えている。アメリカのピュ-リタニズムでは、引き受けてもらえなかった「飲む・打つ・買う」といった人間の営みをカミング・アウトし、更に特化してしまった街。

Las Vegas Travel Guide





 私がラスベガスを訪れるのは、実は今回で三回目になる。過去に二回はいずれも短期滞在だったが、今回はアメリカに永住しようという企みだ。私は、三十才になっていた。大学を卒業して、数年間、お世話になったシンクタンクを辞めた。

 コミュニティ・カレッジに留学し、旅行代理店で働いて、住権を取得し、アメリカに移住する計画を持っていた。ラスベガスは、巨大カジノホテルの建設ラッシュが起こり、好景気が続いていた。日本人旅行客数も増加しており、その仕事に携わる現地のツアーガイドが不足していたのだ。

 ベンジャミン・バグジー(虫けら)・シーゲルというニューヨークのユダヤ系マフィアが、砂漠に大規模カジノ・ホテル建設を始める。昼間はホテルのプール・サイドでゆっくりと肌を焼き、夜は食事をしながら豪華なショーを楽しみ、ギャンブルで遊ぶというアイディアを盛り込んだのだ。フラミンゴ・ホテルというのだが、これがラスベガスの都市イメージを決定づけた。

 開館当初のホテルを楽しむ人々の写真を見たことがあるが、現在と変わらない完成されたスタイルがそこにはあった。日本の闇市とは大きくかけ離れた特殊な世界が、同時期にラスベガスでは花開き始めていたのだ。ラスベガスは、バグジー・シーゲルのリゾート・コンセプトをその後、半世紀近く継承し再拡大しながら現在に至っている。

 
ラスベガスの現在

 人口が1998年、当時、100万人強。天候は、砂漠の天気は常に晴天である。それも雲一つ無い青空であることが多い。真夏の直射日光は身に危険を感じてしまうほどきつい。実際、脱水症状を起こしやすく、夏ラスベガス市民は一日に大量の水を摂取しなければならない。

 1920年代の大恐慌時代にニューディール政策として水力発電用のフーバーダムが建設された。ダムで堰きとめられてできた世界最大の人造湖レイク・ミードが、ラスベガスの喉を潤している。また、砂漠なので当然、空気はカラカラに乾燥している。夜洗った洗濯物を室内に干しておくと、翌朝にはパリパリに乾いている。これは節約になって、嬉しいが、車のバッテリー液が一夏で蒸発してしまうのには閉口してしまった。

 このような厳しい自然の中で、ラスベガスはどのような道を辿ってきたのだろうか。ラスベガスは実はスペイン語で「草原」の意味であり、まったく不毛な土地ではなかった。インディアンが狩猟生活を営んでいた痕跡が、レッドロック・キャニオン自然公園に残されている。現在もラスベガスには野生の動物、野ウサギやシカ、リスなどが生息しているのである。
 
 西部開拓時代に入植してきたのは、ビルガム・ヤング率いるモルモン教徒の一行である。彼らは、宗教弾圧を逃れてきたのが、ラスベガスでも再度迫害を受け、本拠地をラスベガスの北にあるユタ州ソルトレイク市に移す。現在でもラスベガスには、モルモン教徒が多く住んでおり、弁護士、会計士、医者、コンピューター・プログラマー等の知的な仕事に多くの人が就いている。
 
 さて、カジノなのだが、実は先のフーバーダムの建設には多くの中国人が徴用されており、彼らがやっていたギャンブルをラスベガスにマフィアが移したのが始まりだそうだ。そして、ラスベガスすなわちカジノ式の全国的な知名度を持つようになるのは、第二次世界大戦後まもなくのことだ。

 そして、現在(2001年)なのだが、ラスベガスの人口は100万人強にまで膨れ上がった。つい二十年前までは本当にド田舎だったのが、過去10年間で一挙に人口倍増しているのである。爆発的に都市が急拡大した理由は、なんと言っても1990年初頭から相次いだ巨大カジノ・ホテルの建設ラッシュだ。

 観光業というのは人海戦術を必要とするものだ。そして、大量の人間が職を求めてこの街にやってきた。彼らの多くはこう言う。「俺がやっているのはエブリバデイズ・ジョブ(誰でもできる仕事)だが、収入への助けは大きい」

 カジノのディーラーの平均年収は、三万ドル台(1ドル百円換算で三百万円)。また、ホテルのレストランでウェイターをして働いていた友人の月収は約三千ドルあったし、ベルマンの友人も月収は約三千ドルあった。チップで大きく稼げるのだ。

アメリカは物価が安いためこれくらいで充分やっていけるのである。そして、ラスベガスはアメリカの中でも特に物価が安いのである。特にマイホーム所有へ道が大きく開かれていた。一千万円台でで立派な住宅が購入できるため、郊外にはわんさか住宅が立ち並んでいる。ラスベガスでは、多くのアメリカ人にとって余裕のある生活が可能である。
 
 確かに自然は過酷だが、エアコンが完備された住宅という繭の中に入ると、砂漠の街といえども快適に過ごせてしまうものだ。付け加えて、カジノは24時間営業だし、付属するレストランもそうである。また、フィットネスクラブもそうだし、スーパーマーケットもそうである。

 スーパーマーケットでは、新鮮なシーフードも手に入るし、日本食も大概この街で調達できる。さらに、市営バスを除いてマストラがないので、どこに行くのも車だ。多少の渋滞はあるが、道は広いし一直線で街中で迷うこともない。すっかり、砂漠の中での生活を忘れさせるほどだ。
 
 また、ラスベガスの都市イメージとして、非常に人工的で不自然なものを想像する人は多いが、いずれにしても、現代都市は極端に人工的に管理されたものなのだ。砂漠の街ということで水不足を極端にイメージさせる訳だが、例えば、ロサンゼルスにも雨はほとんど降らない。

 ロサンゼルスも水を灌漑施設で引っ張ってきている。都市の規模からしてロサンゼルスの方がよっぽど、水に関しては心配なのだが、多くの人はそう考えない。ラスベガスは元来ロサンゼルスの悪所として発達した街だったのだが、現在ではそのロサンゼルスから逆に住民が治安の良さを求めてラスベガスに移ってきている。

 

ラスベガス公式ウェブサイト http://www.visitlasvegas.jp/

 


 

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