米国見聞録

旅行・留学・仕事を通じたアメリカ滞在の記録です。番外編で韓国見聞録があります。

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番外編・韓国見聞録

初の海外一人旅

 

 私が、初めて韓国に行ったのは、1989年で今(2012年)から20年以上のも昔の話になった。光陰矢の如し。当時の韓国は、盧 泰愚(ノ・テイウ)政権で、まだ、厳しい軍事政権下にあった。87 年には、あの大韓観光空爆破事件という悲劇が起こったが、翌年の88年のソウル・オリンピックには成功し、また、70年代から始まっていた漢江(ハンガン)の奇跡と呼ばれる高度成長期を経て、多くの人々が、豊かさを享受しはじめていた。

 韓国旅行は、二浪時代に河合塾予備校、現代国語講師の竹国友康先生に推薦してもらっていた。北海道でスキーをするくらいのお金、5万円くらいあったら韓国にも行けるから、国際感覚を養おうよ、ということだった。私は、共鳴し、大学の春休みを利用して、長距離バスで大阪から下関へ。そして、下関から出航している関釜フェリーを利用して玄界灘を越えた。

 ちなみに、竹国先生は、韓国関係の本(※)を三冊出版されており、韓国の専門家でもある。また、先生とは、去年25年ぶりに再会し、梅田の阪急ホテルの喫茶店で、紅茶を御馳走になり、お互いの近況と韓国について話し、楽しいひと時を送った。また、一冊購入した先生の本にサインをもらった。サインの上には、「夢」と先生は書かれた。

 (※)参考:『ある日韓歴史の旅 鎮海(チネ)の桜』(朝日選書622 朝日新聞社、1999年3月刊)、『韓国温泉物語―日朝沐浴文化の交流をたどって』(岩波書店、発売日: 2004/3/16刊)、『ハモの旅、メンタイの夢――日韓さかな交流史 』(岩波書店)

 私は、旅行の直前まで、JR新大阪駅のカレー屋でアルバイトをして、約1週間の旅程に、2倍の10万円の旅費を用意した。飛行機を利用せずに、海路を選択したのは、ゆったりと旅情を楽しみたかったらだ。また、フェリーは、学割が効いたので、片道6900円という低料金も魅力だった。現在では、高速フェリーが出て3時間で行けるが、当時は、私の乗ったフェリーでも、夜には釜山沖に着くので、一晩停泊して、税関が朝に開くのを待つという、のんびりした旅だった。ただ、半日感情の強い国なので、心中は穏やかではなかった。旅行というよりも「冒険」だった。
  


さっそく、釜山で睡眠薬強盗に 


  船の中で知り合った九州大学の医学生と一緒に釜山デビュー。地図を持って、街中をウロウロしていたところを、スーツを着たサラリーマン風の二人に流暢な日本語で声をかけられた。彼らは、会社が創立記念日でお休み。そこで、これから日韓親善のためにも飲みに行きましょうと誘われた。友人と相談したのだが、彼らの身なりもキチンとしている、大丈夫だろうと考えて飲みに行った。

 しかし、飲みに行った刺身屋で焼酎に睡眠薬を混ぜられて、私と友人は昏睡させられてしまった。昏睡する直前に、首と太ももの付け根を手で押さえられた。恐らく軍隊で習ったのだろう。ぞっとして、笑ってごまかしながら、 相手の手を払いのけたが、どうも、そこからの記憶がない。約一時間して目覚めると財布の中身が抜かれていた。友人は、まだ昏睡中だった。起こしてみると、彼の財布からも金は消えていた。二人合わせて5万円ほど失った。

 しかし、私は街中でスリに会ってはマズイと考え、スニーカーの中敷の下にある程度金を隠していた。運よく、この金は無事だったので、店の支払はすませた。ただ、医学生の体調が悪かった。ホテルに戻るため、介抱していた医学生をタクシーに乗せた瞬間、うっ、俺って孤軍無援での兵士みたいでカッコいいなどと瞬間的に思ったりもした。この期に及んで、自分にも酔っていたのだから、仕方がない。しかし、酒に睡眠薬入れて動脈を押さえるなど、言語道断である。これは、小さな戦争だ。また、店ごとグルかもしれなかった。しかし、帰りのタクシーのおじさんは人柄が良く、韓国も捨てたものではないなと、これまた、すぐ思ったりもするのだった。



 犯人は、当時30才くらいだったから、現在(2012年)で、50才くらいか。二人ともがっしりした体系。主犯格の男は、色白で眼がつり上がったサラリーマンタイプ。もうひとりは、本当かどうかは知らないが、柔道の選手で国体で結構いいところまで行ったと言っていた。主犯格の顔は、もう忘れたが、柔道の方は特徴のある顔だったので、今でもよく覚えている。

 
 この事件では、やはり、反日感情の深さを思い知らされた。ただ、外国で地図をひろげて歩いたり、親切に話しかけてくる人を信用してはいけないのは、海外旅行の初歩の初歩、基本中の基本なのだが、それが分かっていなかった。本当に情けない。私たちは、甘い日本の大学生だった。

一方、インド帰りは、ガールフレンドをゲット



 その後、どうも胃の調子も悪く、妙な脱力感があった。お金を失ったので、宿泊料の高いホテルをキャンセルした。また、ソウル行きの旅費も失った。そこで、宿泊料の安いドミトリータイプの愛隣ユースホステルへ移った。 そのユースは丘の上にあり、教会も併設されていたように思う。素晴らしいユースだった。私は、まだ、韓国人の多くがキリスト教を信仰していることを知らなかった。

ユースで、知り合った日本の大学生たちと情報交換をすると、韓国で睡眠薬強盗に遭っている日本人学生が多いという話だった。私は、もう釜山の韓国人は、怖いのと、嫌になったのとで、食事にだけ外に出てあとはベッドでゴロゴロするようになった。

 一方、ユースには、インドから一人旅してきた猛者もおり、彼なんかは韓国は別段、どうということもない様子だった。彼に言わせると、我々二人がドミトリーに入ってきたとき、猜疑心の塊のような目をしていたのだそうだ。

 「あ、もしかして君らも、睡眠薬強盗やられたの?しかし、日韓交流で、これからの若い世代に睡眠薬やるのは、良くないと思うんだよな。だってさ、これからの日韓交流の芽を摘んでいるようなものじゃん」

 「インドから帰ってきて、こっちでは、何も被害にあっていないんですか」

 「うん、僕は、アーミージャケットを着ていたからか、バスに乗っていた時にご老人から、ものすごい剣幕で怒られた。おそらく、日本の軍国主義を老人は問題にしていたと思うんだよね。でも、俺は、韓国語ができないので、どうしようもなかった。それよりも、街でロングヘアーの美人女子大生と知り合いになって、デートしてるんだ。ここに写真があるよ」

 「え~、すごい美人じゃないですか」

 また、ユースには、天理大学の朝鮮語専攻の日本人学生がいて、彼に通訳を頼んで警察に被害届を出しに行った。しかし、警官には、そんな小さいことで被害届を出しに来ないでくれ、ケンチャナヨみたいな事を言われたように思う。そんなこんなで、結局、一度目の旅行では、釜山のみを見て、ソウルには行かずに帰国となった。




二度目でソウルに到着

 
 しかし、悔しいので、態勢を整えて、今度は夏休みの後半を利用してソウルまで行ってきた。前半は、長野県でレタス栽培のバイトやって旅費を貯めた。このバイトはひたすら、箱詰めのレタスをトラックに運ぶという、体力的にきつい仕事だったが、コレくらいやって鍛えておかないと韓国では太刀打ちできない。バイトを終了して、再び、プサンにフェリーで行き、そこから、確か高速バスに乗ってソウルへ向かった。 ソウルでは、ヨクサン(駅三)ユース・ホステルに宿泊。地下鉄駅のすぐ近くにあり、新しく清潔で料金も安く、すばらしいユースだった。

 ただ、今度は、朝のソウルを散歩中に話しかけられたオッサンに、言葉がよく分からないので適当にネー(はい)と答えたら、突然、羽交い絞めにされて路地裏に引っ張って行かれた。もう一人、近寄ってきて、相手は二人となった。しかし、こっちも頭に来て振り払って、少し離れたところで、I don`t knowと怒鳴ったら、向こうも呆気に取られたのか、後を追ってくることは無かった。

 それは、ともかく、当時はまだ貧しさの片鱗が、至る所に残っていた。人の良さそうな白いチョゴリを着たおばあさんが、地下鉄駅の駅の階段に腰掛けて、小銭を恵んでもらっていた。従軍慰安婦だったのかもしれないと思った。ソウルで知り合いになった大学生は、韓国の福祉はまだまだですと嘆いていた。

 

 その後一度も訪韓していない。しかし、去年から韓国語を勉強し始めた。一応、初歩くらいまではやったのだが、ちょっと時間が空くともうすぐにハングルを忘れてしまう。今、2012年で私は45才なのだが、やはり記憶力が低下している。しかし、大体、観光地では日本語が通じるので、私の勉強も、ま、いいかと思っている。しかし、おそらく、私が再度、韓国を訪れることはないだろう。日本に滞在している韓国人とコミュニケーションを取りたいと思っている。



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