2010-02

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14、番外編・韓国見聞録

初の海外一人旅


 韓国旅行も、1989年で今から20年も昔の話になった。光陰矢の如し。当時の韓国は、盧泰愚大統領の時代。前年に金賢姫元工作員の大韓航空機爆破事件があったが、88年のソウル・オリンピックは無事に終了。経済も「栄光の30年」と呼ばれる期間の真っ只中だった。韓国旅行は、浪人時代に河合塾予備校の現代国語講師竹国先生に推薦された。国際感覚を養えと言われていたのだ。そこで、私は大学の春休みを利用して、大阪から下関へ。そして、下関から出航している関釜フェリーhttp://www.kampuferry.co.jp/を利用して玄界灘を越えた。



チョー・ヨンピル - 釜山港へ帰れ




 初めての海外一人旅だった。直前まで、JR新大阪駅のカレー屋でアルバイトをして、約一週間の旅程に10万円の旅費を用意した。飛行機は利用せずに、海路を選択。フェリーは、学割が効いたので、片道6900円という低料金が魅力だった。現在では、高速フェリーが出ているが、当時は釜山沖に一晩停泊してイミグレーションオフィスが開くのを待つという気長な旅だった。

 旅のスケジュールには余裕があったが、心中は穏やかではなかった。むしろ緊張の極み。旅行というよりも「冒険」に近いノリ。当時の私は、韓国語はもとより、英語もできない。しかも、韓国は反日感情がもっとも厳しい国だ。果たして、無事に帰ってこれるのだろうか?船の中では、そんなことばかりを考えていたため、夜はあまり眠れなかった。  


さっそく、釜山で睡眠薬強盗に 


 船の中で知り合った九州大学の医学生と一緒に釜山デビュー。地図を持って、街中をウロウロしていたところを、声をかけてきたサラリーマン風の二人に流暢な日本語で声をかけられた。彼らは、会社が創立記念日でお休み。そこで、これから日韓親善のためにも飲みに行きましょう、となった。友人と相談したのだが、彼らの身なりもキチンとしている、大丈夫だろうと考えて飲みに行った。 

 しかし、飲みに行った刺身屋で焼酎に睡眠薬を混ぜられて、私と友人は昏睡させられてしまった。昏睡する直前に、首と太ももの付け根を手で押さえられた。恐らく軍隊で習ったのだろう。ぞっとして、 相手の手を払いのけたが、そこからの記憶がない。約一時間して目覚めると財布の中身が抜かれていた。友人は、まだ昏睡中だった。起こしてみると、彼の財布からも金は消えていた。二人合わせて5万円ほど失った。ただ、私は街中でスリに会ってはマズイと考え、スニーカーの中敷の下にある程度金を隠していた。運よくこの金は無事だったので、店の支払いをしてタクシーでホテルに戻った。

 犯人は、当時30才くらいだったから、現在(2009年)で、50才くらいか。二人ともがっしりした体系。主犯格の男は、色白で眼がつり上がったサラリーマンタイプ。もうひとりは、本当かどうかは知らないが、柔道の選手で国体で結構いいところまで行ったと言っていた。主犯格の顔は、もう忘れたが、柔道の方は特徴のある顔だったので、今でもよく覚えている。

 この事件では、やはり、反日感情の深さを思い知らされた。また、外国で親切に話しかけてくる人を信用してはいけないのは、海外旅行の初歩の初歩、基本中の基本なのだが、それが分かっていなかった。本当に情けない。私は、甘い、あまりにも甘い日本の大学生だった。

一方、インド帰りは、ガールフレンドをゲット

 その後、どうも胃の調子も悪く、妙な脱力感があった。また、睡眠薬というモノに恐怖感を覚えた。あれは、量を間違えれば、永遠に起きてこないシロモノだろう。

  お金を失ったので、宿泊料の高いホテルをキャンセルした。また、ソウル行きの旅費も失った。そこで、宿泊料の安いドミトリータイプの愛隣ユースホステルへ移った。 そのユースは丘の上にあり、教会も併設されていたように思う。素晴らしいユースだった。私は、まだ、韓国人の多くがキリスト教を信仰していることを知らなかった。ユースで、知り合った日本の大学生たちと情報交換をすると、韓国で睡眠薬強盗に遭っている日本人学生が多いという話だった。私は、もう釜山には嫌気がさして、食事にだけ外に出てあとはベッドでゴロゴロするようになった。

  一方、ユースには、インドから一人旅してきた猛者もおり、彼なんかは韓国は別段、どうということもない様子だった。ただ、彼は、アーミージャケットを着用していたため、バスに乗っていた時にご老人から、ものすごい剣幕で怒られた。おそらく、日本の軍国主義を老人は問題にしていたようだ。しかし、彼は韓国語ができないので、どうしようもなかった。しかし、彼は、睡眠薬の被害に会うどころか、街でロングヘアーの美人女子大生と知り合いになって、デートまでしていたのだった。

 また、ユースには、天理大学の朝鮮語専攻の日本人学生がいて、彼に通訳を頼んで警察に被害届を出しに行った。しかし、警官には、そんな小さいことで被害届を出しに来ないでくれ、ケンチャナヨみたいな事を言われて、帰ってきたりもした。そんなこんなで、結局、一度目の旅行では、釜山のみを見て、ソウルには行かずに帰国となった。


二度目でソウルに到着

 しかし、悔しいので、態勢を整えて、今度は夏休みの後半を利用してソウルまで行ってきた。前半は、長野県でレタス栽培のバイトやって旅費を貯めた。このバイトは体力的にきつい仕事だったが、コレくらいやって鍛えておかないと韓国では太刀打ちできないという思いもあった。再度、フェリーで釜山まで行き、そこから確か高速バスに乗ってソウルへ向かった。 ソウルでは、ヨクサン(駅三)ユース・ホステルに宿泊。地下鉄駅のすぐ近くにあり、新しく清潔で料金も安く、すばらしいユースだった。

 ただ、今度は、朝のソウルを散歩中に話しかけられたオッサンに、言葉がよく分からないので適当にネー(はい)と答えたら、突然、羽交い絞めにされて路地裏に引っ張って行かれた。もう一人、近寄ってきて、相手は二人となった。しかし、こっちも頭に来て振り払って怒鳴ったら、向こうも呆気に取られたのか、後を追ってくることは無かった。

 それは、ともかく、あれから十数年後に「冬ソナ」のように韓国の何もかもが小奇麗に見えるよなドラマが放映される訳だが、当時はまだ貧しさの片鱗が、至る所に残っていたものだ。人の良さそうな白いチョゴリを着たおばあさんが、地下鉄駅の駅の階段に腰掛けて、小銭を恵んでもらっていた。ソウルで知り合いになった大学生は、韓国の福祉はまだまだですと嘆いていた。

 その後、韓国について様々な本を本を読んだ。政治・経済・文化への関心を深めたつもりだ。また、その後、アメリカでは韓国系のキリスト教牧師先生や韓国系米国人と知り合いになり、色々と良くしてもらった。キリスト教牧師先生の日本語会話の家庭教師もさせてもらったし、牧師先生の推薦もあって洗礼も受けさせてもらった。ただし、私はまったく真面目なクリスチャンとは言えないが。また、その後一度も訪韓していない。しかし、今年になって韓国映画の強い影響を受けた。イヨンエ主演の親切なクムジャさんだ。あの映画は、ハリウッドのアクション映画級の衝撃があった。そして、再度、ソウルを訪れてみたい気持ちが強くなってきた。ただし、次回は、韓国語をある程度マスターして行きたい。街中のハングルは読めなくてもいいが、韓国語での簡単な日常会話は、やはり試してみたいと思っている。





 

ひとりで学べる 韓国語会話 (CD2枚 切り取れる便利な「ハングル一覧表(反切表)」付き) (単行本(ソフトカバー)) 李清一(著)




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13、テキサス州サンアントニオ(2005)

サンアントニオへ

 9.11のテロから4年後、私はアメリカの友人を訪ねて、テキサス州のサンアントニオを訪れた。サンアントニオは、水郷再生の町として有名だが、一方、背後には広大な空軍基地が控えている。四日間の滞在中、ついに私は、私以外のアジア人を見ることが無かった。こんなアメリカの都市は初めてだった。街の中心地には、有名な「アラモの砦」があり、多くの観光客で賑わっている。

 この砦を米兵が、パトロールしている。恐らく、陸軍のユニフォームだと思うが、上下迷彩服の軍人が、怖い顔をして、ペアになったり、グループになったりして、街をパトロールしている様子を見て驚いた。そのパトロールしているグループの先頭のリーダーに、「なんだ、こいつ怪しいな」みたいな目付きで見られたりして、少し、ヤバイ思いもしたのだった。

 街中の観光は、再生された水郷・リバーサイドとアラモの砦の二つが大きな目玉だが、サンアントニオの街は、ほどよくコンパクトに出来ており、一日あれば、二つとも歩いて十分に観光できる。気候もよく、街も美しく、人もフレンドリーで、私が、今までアメリカで訪れた街の中では、ベストではないかと思う。知り合いの粋な計らいで、ジャズクラブでのパーティーに参加させてもらった。  

サンアントニオ公式ウェブサイト(英語) http://www.visitsanantonio.com/index.aspx

ワイナリーツアーヘ 

 また郊外のワイナリーのツアーにも連れて行ってもらった。メンバーは、お酒の好きな人が集まっていたようだ。弁護士、判事、TVディレクター、元アメリカ海軍隊員、保険代理店のオーナー、建設会社の社長夫妻、MBAの学生、カフェの店員さんなどのグループでワイナリーに出かけた。ここまで、高学歴で、かつ社会の上層に座するグループにまぎれたのは初めてだった。ただ、どういう訳か、疲れている顔をした人が多かった。多分、飲みすぎで胃腸が疲れているのだ。しかし、みんなワインを飲みまくり、楽しいひと時を過ごしたのだった。ただ、私は禁酒中だったので、ほとんど飲まなかった。

 また、ラスベガスで知り合いになったブルース・ミュージシャン、ウィリージェイhttp://www.myspace.com/williejlawsbandにも会った。ラスベガスの彼のステージに何度か飛び入りをさせてもらった事がある。今回は、彼に、新作CDを録音中のスタジオを案内してもらった。彼は、もう音楽のみに集中する生活になったと語っていた。後日、その新作を取り寄せて聴いたが、すばらしいサウンドに仕上がっており、やはり流石だと唸らされた。

San Antonio Travel





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12、イルミナリティの存在?(911同時多発テロ)

911テロ直前に帰国

 結局、滞在ビザが切れた私は、2001年アメリカで起きた9.11テロの前日に帰国した。昨日まで住んでいた国が、テロ攻撃を受けていることに戦慄を覚えた。ワールド・トレードセンターの崩壊とともに、私の中の何かも崩れ去ったように感じられた。

 その後、一時快方に向っていた不安・パニック障害が再度悪化した。ある朝、近所を少しジョギングした後に気持ち悪くなり、頭痛と過呼吸が激しくなった。脳内出血が始まったような感覚があり、死が迫ってくる恐怖に囚われる。

 医者から安定剤、抗鬱剤、そして睡眠薬が出ていたが、一方、眠気や吐き気などの副作用がきつかった。私の場合、普段から眠たいことが多いので、眠気を誘発するような薬は、本当に困るのだが、無理をして飲んでいた。

 抗鬱剤を何度か返るうちに今度は、鬱とは逆の躁にななった。躁鬱病というのは、現代医学でも原因がよく分かっていない。医者からは、ただただ、薬を飲んでくれと言われて、飲んでいたのだが調子の悪さは治らなかった。

 


 

玄米菜食と半断食



 一方で何か病気への突破口があるだろうという予感もあった。

 そんなある番、スティーブン・セガールの刑事映画「グリマーマン」を見ていたら、彼が相棒を漢方薬局に連れて行き、「西洋医学は病気を長引かせ、東洋医学は病気を根本から治療する」というシーンがあった。そして、本屋で東洋医学について探してみた。

 本屋では、断食と生菜食で難病を治す西式甲田療法を発見し、その日から実践した。体はすぐに回復して、現在では薬も飲んでいないし、体力も以前よりついてきた。
 
 断食したり玄米菜食して身体の毒が抜けた私は、今までに感じたこと無い感触を味わっていた。一言で言えば、頭の回転が速くなり、今まで見えなかったことが見えてきた。


 


 断食博士の「西式健康法」入門―病気にならない秘訣 (単行本)




容(「BOOK」データベースより)
疲れない、病気にならない―体質は変えられる。現代医学を超えた“目からウロコの健康法”のすべて。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
甲田 光雄
1924年大阪府生まれ。日本綜合医学会会長。幼い頃から病弱のためさまざまな大病を経験。大阪大学の医学部に進学するも、自らの病を根治させることのできない現代医学を見限る。その後、実体験をもとに数多の民間療法を探究、ついに「断食」「生野菜食」「西式健康法」などを組み合わせた独自の医療哲学「甲田メソッド」の開発に至る。大阪府八尾市の甲田医院において現在も難病とされる患者に接し、圧倒的成果をあげている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



 一番の驚きは、「人間は元来仕事をしなくても良い生き物だ」という思想を知ったことだろう。動物は、仕事して生きている訳ではない。高等な生物と考えられている人間だけが、仕事をしているのである。

 我々が、働かざるを得ない理由はこうだ。狩猟採集を経て、農業時代に入り、余剰作物が出てきた。大まかに言えば、これを独り占めする奴が出てきて、武装化し、その後、中央集権国家が成立してしまった。このため、国民は、税金を払うために働かざるを得なくなった。

 一方、自給自足の世界では、現在、パーマカルチャーという技術が発達し、個人での水や食物、自然エネルギー等のライフラインの確立が可能なのである。しかも、この生活は、環境を破壊しない。仕事しなくても生活できる方法は、存在しているのである。ただ、自給自足では、税金を払うことができない。これを権力者達は当然嫌うのである。

 そんなことが分かったのも、ベジタリアン世界を通じての事だった。また、ベジタリアン化して食材を無農薬米・野菜にしたため、有機農業への関心が高まり、有機農業団体を介して、農業実習に通ったりもするようになった。有機野菜は、ミネラル・ビタミンが多く含まれており、美味だし、また農薬の心配が無いので、安心して食べられるのが素晴らしい。

こうして、アメリカの物質至上主義的な世界にどっぷり浸かった反動からか、私は自然農法・有機農業の世界への関心を高まってきた。日本では、新生児の三分の一がアトピー・アレルギーを持っている。子供達に安心できる食材を提供する仕事もいいなと考えるように至り、有機農業の研修に出かけてみた。

 


自然農への道 (単行本)



内容(「BOOK」データベースより)
編著者の川口由一が就農後、農薬や化学肥料を使った農業を続けることで心身を損ね、いのちの営みにまかせ、自然の理にかなった農業を模索し、1970年代後半に自然農にたどりつく。以来、30年余りにわたり、不耕起・不施肥・無農薬で稲作と野菜の栽培をおこない、全国各地の自然農の指導にもあたる。「耕さず、肥料、農薬を用いず、草や虫を敵としない」という教えや「耕さず、持ち込まず、持ち出さない」という3大原則は、すべてのいのちの営みを大切にし、環境に負担をかけずに実りに結びつける自然農の技術をあらわす言葉として知られている。

内容(「MARC」データベースより)
耕さず、肥料・農薬を用いず、草や虫を敵とせず、自然の営みにまかせる自然農。生業としての自然農、家族で取り組む自然農、プロの販売農家としての自然農など8カ所の実践事例をもとに、取り組み方の基本を提示する。

自然農法 わら一本の革命 (単行本(ソフトカバー))

内容(「BOOK」データベースより)
耕さず、草もとらず、肥料もやらず、しかも多収穫!“現代の老子”が語る無の哲学と実践。

内容(「MARC」データベースより)
田も耕さず肥料もやらず、農薬も使わず、草もとらず、しかも驚異的に実る稲が実証する緑の哲学。世界が注目する日本の自然農法、自然食の原点や、行きづまるアメリカの農業などを紹介。1983年刊の新版。


イルミナリティは、存在するのか



 ある元左翼活動家の自称有機農家(実際は、有機農業は行っていなかった)では、中丸薫の「闇の権力」という本を紹介してもらい、国際金融資本(イルミナリティ)の世界支配について知るようになった。このときは、まだ半信半疑だったが、その後、元フォーブス・アジア太平洋支局長のベンジャミン・フルフォードや、ロン・ポール大統領候補の存在を知り、ロックフェラーのアメリカ支配について興味を持つようになった。

 911は、イルミナリティの自作自演だと言われている。旅客機が突っ込んだくらいで本当にビルが倒壊してしまうのか?飛行機のガソリン燃料が燃えた温度では、ビルの鉄骨を溶かすことができない。もし、燃えたら旅客機のエンジン自体が飛行中に溶けるのではないだろうか。 

 

 また、当日、消火活動に当たった多くの消防士がその後、肺がんで亡くなるなどし、ビルの倒壊には、常温核融合を利用した新型爆弾が使用されたとの説もある。

 



9.11 ミステリー1 911事件の謎  





 さらに、ブッシュの終わりなき世界戦争(浜田 和幸著)によると、911の直前にドイツの情報局から、またロシアのプーチン大統領(当時)から、911テロの警戒情報がブッシュ大統領に伝えられていたとも言われている。本当だとしたら、なぜ無視したのか。大いに疑問は残るのだった。

 

 下記のベンジャミン・フルフォード氏の著作を読むと、もっと驚くことが書かれている。85年の日航機墜落事故だ。これは、日本がプラザ合意への賛同を渋ったために、イルミナリティが行ったというのだ。確かに、あの墜落現場では、まるでミサイルで打ち落とされたようだったという証言は、多くあったと聞いている聴いている。

 

 日本はプラザ合意を機に、円高へと誘導されてバブルに突っ込んでいった歴史がある。しかし、最終的には、不良債権の塊が出来上がり、それが現在の格差社会を生んだ直接の原因となっている。なぜ、当時の大蔵省の役人たちが、プラザ合意を受け入れたのか。それは、個人的な長い間のなぞだった。しかし、航空機墜落でもって脅されたのなら、仕方がないと思うのだった。

 


闇の権力と闘う男 ベンジャミン・フルフォードという生き方 (単行本)


 

内容紹介 

 地球を救いたい! 戦争のない平和な世界に! 人類が平等であればいいのに!そんなピュアなことを本気で夢見る男がいた。彼こそが、ベンジャミン・フルフォード。そんな願いを叶えたい彼の人生に次々に登場する、たくさんの悪魔たち。

 人種差別、貧困、環境破壊、戦争、テロ、天災、金融危機etc.。数々の悪を生み出していた悪魔の本丸は、世界の闇を裏で操るイルミナティのしわざだった。今、その悪魔が最後の悪あがきをしている。フルフォード氏の戦いは、ついに終わろうとしている!?ジャーナリストとして20冊以上の書籍を通じて、大手マスコミが決して触れない“世界と日本の闇”の真相を暴いてきたフルフォード氏が、今、4代前から続いてきたという、闘いの半生を語ります。

  (以下「まえがき」より)私は、ずっと闘ってきた。 47年間の人生を振り返ると、いつも“何か”と闘っていた。 その“何か”は、自分の人生の目の前に、常に見えない敵となって立ちはだかっていた。 ある時は、私を苦しませ、悩ませたりした。また、あるときは私を怒らせ、絶望させたりした。時には、私を誘惑し、魂を奪おうとすることもあった。さらには、私の命までをも奪おうとさえした。 その“何か”は私を脅かす、さまざまな悪魔だった。

 それらは、「人種差別」「貧困と飽食」であり、あるときは、「環境破壊」。そして、「テロと戦争」「汚職や横領」、「天災」、「金融危機」etc。 私がどこにいようとも、彼らは追いかけてきた。 けれども、彼らから逃げずに、彼らと真正面から対峙すれば、その向こうには、微かな希望も見えてくる。 だから、悪魔に立ち向かうことにした。

内容(「BOOK」データベースより)
カナダの名門フルフォード家の曾祖父の死に隠された真実。それは闘う男ベンジャミンの「魂の刻印」であったかもしれない。ひとりの男が、最も巨大で最も危険な相手と闘うために用いたさまざまな「情報」「駆け引き」「危険担保」「味方」。そして、その闇の権力、イルミナティとの長い闘いは、まさに今最終章に近づいているかもしれない。私たちの未来には、新しい光が射そうとしているのだ。

 




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11、アメリカ滞在と護身術(1998-2001ラスベガス)

頭痛とパニック障害

 

 ラスベガスはトラブルが多く、会社で観光客のクレーム処理をしていた私はストレスの塊と化していた。また、ムチ打ちの後遺症なのか、仕事中に激しい頭痛があった。病院では、ストレス・パニック障害と診断され、抗うつ薬と痛み止めが出された。そこで、私は旅行代理店を辞めて、もっと楽な日本へのアンケート・リサーチをしている会社に移った。

 ラスベガスはカジノのギャンブルからの収益が大きい。そして、その収益に依存しているため、ホテルやショップ、その他のサービスでの接客態度が他の観光地よりも劣っているのだ。その結果、ツアー客とトラブルが起こりやすい。実際、ラスベガスで発生するクレーム件数は、都市別で世界一だった。あまりにもクレームが発生するために、日本からマネージャーが来て現場を見て回ったが、どうも、これじゃあ、仕方ないなで帰ったようだ。

 こうして、私は土壇場に来て正規の旅行関連の正規労働ビザ取得を諦めてしまった。当然、永住権への道も閉ざされた。実際、頭が痛くは、物事を考えられるような状態でもなかった。アンケート・リサーチの会社も続けることができなかった。そこで、もう、いい、帰国まで少し猶予があるから、その間は好きなことをやろうと考えた。運良く、前述の交通事故の保険金が手に入った。


ブルース・ジャムセッション


 そこで知り合いのブルースバンドのリーダー、ウィリー・ジェイhttp://www.myspace.com/williejlawsbandに頼んで、飛び入りでギターを弾かせてほしいと頼んでみた。すると意外にも、じゃあ、ライブで一曲弾いてみろとなり、私は足しげくギターをかついでハウス・オブ・ブルース(HOUSE OF BLUES)の入っているマンダレイベイ・カジノホテルへ通い始めた。

 本場アメリカで、しかもエンターテイメントの本場ラスベガスでギターを弾く。考えただけでも、緊張する。日本のライブハウスで何度かギターを弾いたことはあるが、今回はバンドのレベルがまったく違う。よく飛び入りのチャンスを与えてくれたものだと今でも思う。

 飛び入りも回を重ねるごとに、徐々に緊張も解けてくる。また、24時間営業のブルース・バーでのジャム・セッションにも参加して演奏を重ねた。ハーレー・ダビッドソンにに革ジャンスタイルの客が集まるワイルドな小屋だ。しかし、ジャム・セッションは誰でも参加が可能であり、地元の音楽通やカジノで演奏しているプロミュージシャンが演奏している。

 よく出入りしていたのが、ダブル・ダウン、サンド・ダラーズ、ブルーダイアモンド・サルーンだ。どちらも24時間営業のライブハウスだ。ダブル・ダウンでは、月曜日の夜にビル・チェリーがジャムセッションを主催している。誰でも参加可能。ビルは、普段図書館で働くインテリだ。そして、ここでは、フリーという友人ができて、彼からDITTO(同じ)と呼ばれるようになった。

 このフリーという人が面白い人で、格好はヘルス・エンジェルなのだが、いつも酔っ払ってニコニコしている。そして、口癖が「IT IS ALL GOOD!!(なんでも素晴らしい)」。`EVERYTHING IS GONNA BE ALRIGHT(すべて良くなる)`というのは、レゲエの歌詞でもよく耳にするが、フリーの人生哲学は、それを超越していた。どんな悪いことが起こっても、‘なんでも素晴らしい‘なのである。

 また、ライブハウスで出会った黒人のボーカリストに、俺と一緒にやってみないかと誘われるようになった。アロンゾ大先生(ALONZO SMALL)http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=201046984である。彼は、ポロタワーという会員制のカジノホテルのスカイラウンジで自分のショーを切り盛りしていた。

 スカイラウンジのマネージャーは、ベトナム帰還兵であり、睨みを利かせていた。ミュージシャンには、酒をあまり飲ませないというポリシーを持っていた。どういう訳か、ラスベガスのミュージシャンには、お酒の好きな人が多い。アロンソ大先生も、結構、お酒が好きで、演奏の合間に、少し飲んでいた。

 大体、演奏している場所は、バーなので、また、音楽をやった後に、疲れを取るという形で、私もお酒をかなり飲むようになっていた。24時間のバーでは、友人も増え、彼らの多くは、私よりも年配という事もあり、お酒を飲ましてもらう機会が増えた。   


ベーシストの銃武装

 

 こうして、ブルース・バーのジャム・セッションで知り合いになったフィリピン系アメリカ人ベーシストと彼の友人と仲良くなり、私のアパートで飲むことになった。このミュージシャンも元軍人で、彼の友人も元軍人で、当時、コンピューター関係の仕事をしていた。

 皆で、アパートのキッチンで飲んでいたのだが、ベーシストが持参のピストルを取り出して、部屋の隅に乱射する仕草を始めた。なんだ、でっかいライターだなと思っていたのだが、よく見ると本物の銃であった。

 ベーシストは、ベトナム戦争にバンドマンとして行っている。彼の相棒は、元海軍であり、その仕草を見て笑っていた。危ないので、私は、彼の銃を良く見せてくれと頼み、手にしてから、銃創の取り出し方を聞いて取り出し、別々に保管しようとした。すると、「俺の銃返してくれ!!何が起こるか誰にも分からない(You never know what will happen next!!)」

 しかし、彼はバンドマンとしてではあるが、ベトナム戦争に行っているので、言葉には重みがあった。アメリカは、銃社会であり、銃撃事件が頻発している。本当に、いつどこで、何が起こるか分かったものではないのが、アメリカの現状である。その時に備えて、ベーシストは自分の銃を合法的に携帯しているのだった。

 私が、最初のアメリカ横断旅行で知り合いになった日本人留学生が、クラスメートの兵役を終えた韓国人留学生に教えてもらった話がある。彼によると、普通、銃というのは、5メートルも離れれば、もう当たらないものだそうだ。そこで、ホールドアップされたら、相手の銃を蹴って、ダッシュで5メートル離れれば良いらしい。実際に、その韓国人留学生は、ニューヨークの確か、ハーレムで強盗に遭い、銃を蹴って難を逃れている。

 しかし、兵役で武道を経験するから、蹴れるのであって、普通、一般人には蹴れるものではない。まず、的に正確に当てれるのかどうか。そして、蹴っても、スピードが遅いと、その蹴りを取られて逆に制圧される場合もある。軍隊式では、相手の手首をひねり返して、銃を取り上げる方法もあるが、これは、相当練習していないとリスキーな方法だろう。

 ラスベガスの友人の中には、合気道を頑張って稽古している友人もいたが、彼も夜のスーパーの駐車場でホールドアップされてしまった。また、ガイド仲間も朝のスーパーの駐車場でホールドアップされ、40ドルを取られた。 要するに人の少ない時間帯は狙われやすい。

 さらに、友人のアイスクリーム屋にも、拳銃強盗が入り、アルバイト店員の女子高生を脅して、数百ドルを奪っている。この店では、私も少し働かさせてもらった。女子高生だけでは危険だというので、大人の男が必要だから入ってくれと頼まれたのだ。私は頭痛があるので最初断っていたのだが、断りきれずに少し働かせてもらった。

 ある夜、友人と二人で店番をしている時に、どう見ても拳銃強盗とおぼしき人物が客として入ってきたのだが、結局アイスクリームを注文しただけで、出て行った。どうも、こちらの考えすぎだったようだ。しかし、あの時は、緊張の極限を体験していたように思う。さらに、近所の24時間、スーパーマーケットにライフル男が侵入。店員数名を射殺するという痛ましい事件も起きた。


護身術が基本

 

 
護身術 クラヴマガ



 日本で、人からアメリカへ行く際には、空手か何か武道をやっておいた方が良いのかと聞かれることがある。それはもう、当たり前でしょう、相手は銃を持っている可能性があって、こちらは手ぶらなんですから、と私は答えている。前述のように、私は、高校のクラブで少林寺を稽古し、社会人になって合気道も二年やった。時間を作って、筋トレも続けている。しかし、それでもピストル強盗は防ぎようがない。相手の気が感じらるという武道の高いレベルに達していないと、アメリカでの護身は無理だと思っている。

 私は、単に運が良かっただけで、強盗に遭っていないが、一度、二日酔いの朝に、アパートの近所のアンちゃんと口ケンカになり、彼の手に小型のナイフが握られていたことがあった。この時は、そんなくだらない物しまえ、で事なきを得たが、あの時は冷や汗が出た。

 こんな事もあり、私は一時期、ポケットには、財布を二つ持っていた。ひとつは、ピストル強盗に差し出す分だ。使わなくなったカードを入れてカモフラージュし、現金も普通に持ち歩く分くらい、例えば、60ドル位は入れておく。こうしておけば、ホールドアップされても、運転免許証やカードまで取られることがない。再発行はめんどくさいものだ。

 ただし、普通アメリカ人は、財布に免許証を入れているので、お前、財布に免許証が入ってないじゃないかと、突っ込まれる可能性はある。かつてのルームメイトが、やはり確かレストランでピストル強盗に遭遇している。彼は、剣道二段だったが、恐らく、強盗の顔を見て判断したのか、財布を出すことを拒否している。

 それで何も無かったというのだから、こういう剛の者も中にはいるのだ。コンビニやレストラン強盗に遭った場合、普通は、強盗の顔を見ないように財布を渡す人が多いそうだ。これは、強盗が顔を見られるのを嫌がるためで、そのことに気を利かせて財布を渡しているのである。

 これらの、自己防衛について、究極のハウツー本が出版されている。私が読んでいたのは、柘植久慶先生のサバイバル本だ。何しろ、元アメリカ陸軍特殊部隊の教官でもあった著者の本である。彼は、9.11のニューヨークでのテロも本の中で予見していた。本の内容の濃さは、折り紙つきである。

 著者が披露しているのは、小銭をポケットにたくさん用意して、相手の目へ投げつけるというもの。突然の反撃に怯んでいるうちに、逃げるのだ。アメリカに旅行・留学・移住する、いずれも人も、この本に、一度目を通すことを強くお勧めする。

 

 


 

21世紀サバイバル・バイブル (集英社文庫) (文庫) 柘植 久慶(著)



出版社 / 著者からの内容紹介
この一冊があなたの生命と財産を守る!
NY9・11テロを予見した話題の書、待望の文庫化。自然災害から犯罪まで、日常に潜むオールクライシスに対処するマニュアルを完全網羅。この一冊があなたの生命と財産をすべての危機から守る!

内容(「BOOK」データベースより)
この一冊があなたの生命と財産を守る!台風、地震、噴火などの天災。熊、猿などの動物被害。全てを焼き尽くす火災。マラリア、エボラ出血熱などの伝染病と風土病。航空機事故、鉄道事故、海難事故。強盗、通り魔、ストーカーなどの犯罪。カード詐欺、ネット詐欺。さらには各種テロ、核・化学兵器攻撃―あらゆる危機への対処法を伝授する究極のマニュアルが、待望のハンディーサイズで登場。



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10、ベジタリアン・フードの威力(1998-2001ラスベガス)

 
低所得者用アパートへ引っ越す

 旅行の仕事は、時間が不規則だったし、ラスベガスの複雑な運行管理があり、私はストレスから、夜に眠れなくなっていた。そして、いつも体が疲れており、眠気が残っていた。そのため、まず、とにかく、事務所へ、10分以内の場所に住むことが必要だった。近くへ住めば住むほど、睡眠時間を確保できる。一度、朝早くホテルへ向う途中、ガソリンスタンドで給油した際に、キーをつけたままドアをロックしたために、窓ガラスを蹴破って、ロック解除したことがあった。時間がなく、仕方なかったのだ。

 幸運にも、事務所の周りは、低所得者用のアパートが立ち並んでいた。住民の大多数がスペイン語を話すヒスパニックや黒人で、残りは少数の白人たちで、アジア系の人間は、ほとんど住んでいなかった。ほぼ、メキシコのような雰囲気だった。私一人が住むだけならば、とことんボロいアパートでも良い。ワンルーム・マンションの賃貸料は、一月に500ドル前後で、どこも大差は無い。しかし、猫付きとなると、そうは行かない。

 まず、ペット飼いが可能か。そして、猫が、外に出したときに外敵から身を隠すための低木などが管理されていることが望ましかった。ほとんどのアパートの庭は、芝生のみの管理で殺伐としている。かなりの時間をかけてチェックして回った結果、あるアパートが、芝や低木、大木、そして、パームツリーが整備されており、申し分なかった。また、古ぼけてはいたが、小さなプールやスパ温泉も付いていた。

 そして、会社まで10分かからない。家賃は、450ドルで、ペット可だ。ここに決めた。引越しは、当時バンドのメンバーだった韓国系のM君とドラマー君に手伝ってもらった。彼らとは、コミュニティカレッジで知り合った友人を介して知り合いになった。主に、教会で演奏するためのバンドだった。

 

アパート住人が、いきなり逮捕


 
 当日、荷物を積んだ車でアパートのゲートをくぐると、駐車場にパトカー止まっており、精悍な顔をした男性のアフリカ系アメリカンが、警官二人に手錠をかけられていた。彼は、私の方を見たが、大して悪びれた様子も無く、また、深い絶望感も感じられなかったが、頭に結構な血がのぼっていることは伺えた。引越しを手伝ってくれたM君とドラマー君は、私が、こんな治安の悪いアパートに住んで、殺されないことを願うよ、と心配していた。しかし、私は、大丈夫だよと彼らに言うしかなかった。

 大体、逮捕くらいで、大げさに言うな。家賃の安さと、猫のための住環境、そして事務所への利便性を考えれば、ここに住むしかなかったのだ。また、私は、高校生のときに習った少林寺拳法は、初段で黒帯だ。合気道も社会人になって、二年ほどやった。また、極力時間を作って、スポーツ・クラブで、筋トレを積むようにしている。筋トレをする時間がとれないのが嫌で、前の会社を辞めたほどだ。

 特にここはアメリカだ。スーパーマーケットやコンビニで、ホールドアップという可能性もありえる。そのためには、普段から体を鍛えて、運動神経を鍛えておかねばならない。特に私の場合、痩せているのため、弱く見える。そのため、ターゲットになりやすいので、なおさら、トレーニング等々は重要なのだ。最近では、勘を鍛えるために一年を通じて、朝に水を浴びようかと思っているくらいだ。M君やドラマー君も二人とも、アジア系という事で、差別や攻撃を受けないように、自己防衛手段として、普段から、ボディ・ビルディングのトレーニングを積み、プロティンを飲んだりしていた。

 彼らの筋骨隆々の頼もしい体格で、荷物の運搬作業は、実にスムーズに行われた。ただ、中古のマットレスを運んでもらっている途中、二人が、「このベッドは、ひどく汚れている。こんなの使ってたら病気になる」と言われて、頭に来た。まったく、モノを大事にしない奴らだ。しかし、普段は、コットンのカバーを巻いて使っていたので分からなかったのだが、良く見ればシミだらけで本当に、汚らしかったので、捨ててもらった。一事が万事、私はこんな調子である。

 

ギリギリの生活資金


 頭に来た理由は、彼らの発言にではなく、私が新しいベッドを買えない情けない状況にあったからだ。学校の授業料や、生活費、そして、中古の車が、頻繁に故障して、修理費がかさみ旅行のバイトで得た金では、ギリギリだった。それに加えて、ムチ打ちの交通被害を食らっており、私は常にイライラしていた。 また、ラスベガスの驚異的な夏の暑さも、まいっていた。新しいベッドを買う余裕は無かったので、24時間営業の量販店のウォルマートで、20ドルでキャンプ用のエアー・マットを購入して使った。しかし、このベッドは、ニャンコ先生が爪を立てて、空気漏れがしてしまい、すぐに使えなくなってしまった。

 この引越しの後、お礼に、食事を奢ったのだろうか、多分二人が、私の懐を気にして、遠慮してくれた記憶が残っている。ちなみに、日系の友人の引越しを手伝った彼の礼は、キッチンから出てきた古いインスタント・ラーメンだった。また、黒人と白人のカップルの引越しを手伝ったときは、引越しパーティで美味しい料理にありつけた記憶がある。

 アパートでは、私は、結構自炊していた。私は、意外にも料理が好きなのだ。アメリカは、食費が特に安いのだが、切り詰めていた。一番安価な食材を探した結果、ニンジン、ジャガイモ、パセリ、鶏肉となった。これで、よくチキンスープを作った。食材を丸ごとお湯に入れて、加熱するだけだ。あとは、お米を炊いてできあがり。

 

ベジタリアン食の効果


 ただ、ラスベガスのホテルは、客寄せに安価な料理をレストランで提供しており、これも良く食べに行っていた。例えば、ステーキ&エッグスという料理が3ドル食べれてしまう。また、バフェという食べ放題のレストランが、10ドル前後で食べれてしまう。カロリーの高い料理を相当食べており、身体がいつも疲れていた。しかし、この当時、もし、ベジタリアン食の威力を知っていれば、私の生活はまったく違ったものになっていたに違いない。
 
 カロリーの高いものを食べ過ぎた結果、身体に疲労感が色濃く漂っていた。疲れているので、また肉を食べてスタミナをつけてという悪循環。肉食へのスタミナ信仰を盲目に信じていたためである。この時、断食の効果を知っていれば、体調を整えることができた。まさに、後悔先に立たずである。
 
 現在では、生野菜は、酵素が含まれており、これが体に良いことが分かっている。なるべく加熱しない方が良いようだ。生野菜なら、加熱によるビタミンの損失も防ぐことができる。そして、肉の代わりに、植物性のたんぱく質を主に大豆から取る。こうすれば、体の酸化を防ぐことができ、疲労を取り除くことができる。

 野菜だけで、力が出るのかと疑問視されてる方もいると思うが、1983年のロサンゼルス・オリンピック陸上金メダルのカール・ルイスや、テニスのナブラ・チロワなどのスポーツが選手は、完全菜食主義者である。野菜のパワーというのは、本当に計り知れないものあるのだ。

 

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ヒロ(男)

Author:ヒロ(男)
シンクタンク研究員を経て、米国ネバダ州へ。旅行ガイド、通訳として働く。帰国後、有機農業の研修などを経て、日本語教師の資格を取得。学生時代に少林寺拳法、社会人になり、合気道を稽古。最近は、筋トレ。趣味がギターです.。

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